出産

1999年6月末。糖尿病を患ってるにもかかわらず、特に何事もなく臨月を迎えた。一週間つづく微弱陣痛ののち陣痛促進剤をうってその1時間後無事出産。(陣痛室でダンナが私のベッドで大の字になって寝て私の場所をうばったあげく、私が起きてるのに看護婦さんがダンナに気を使って部屋の電気を消してしまったことを一生忘れない。主役はわたしなのにぃ)

私が糖尿病なので小児科の先生が立ち会ってた。生まれたばかりのなちグロンは母に抱かれたり体重等測られる間もなく保育器に入れられ未熟児センターへレッツゴー!!途中武士の情けか先生が立ち止まり「お母さん見える?」と言ってくれたけどガラスが反射して見えない。「あ・・・」という間もなく先生はゴーッと走り去ってしまった。ダンナは分娩室の外でじっくり見せてもらったらしい。その後分娩室でご飯をガツガツたいらげた私は病室へ。

ダンナはあらためて未熟児センターでなちグロンと対面。保育器越しに写真を撮ってきてくれた(看護婦さんがポラロイドでとってくれる。1枚なんと160円!!!現在では使い捨てカメラなら持込OKらしい)・・・が超どアップでピンボケ。か・・かわ・いい?わかんないよー!!それから看護婦さんから赤ちゃんは最初呼吸が乱れたりしたけど今は安定してると聞き、他に障害等ないと言われ安心してその日はゴロゴロして終わろうとしていた。(というかしんどくて動けなかった。)
                        


ところが・・・!


夜になった。看護婦さんが「今日ダンナさんくる?」私「そろそろきますけどなんで?」看「未熟児センターの説明があるんだけど」私「さっき聞きましたよ」看「・・・連絡先おしえてくれる?」私「そんなにいそぐことなんですか?」看「さあ私はよく分からないんだけど」と言うとどっかにいってしまった。その後もいろんな看護婦さんがダンナはきたのか?とかきいてきた。なにかかくしてるぅ( ̄〜 ̄;)

それから面会時間もとっくに終わり寝かかった頃ダンナが病室にやってきた。・・・やな予感。「今先生から話があったんだけど落ち着いて聞ける?」「なに?」「うちの子心臓悪いんだって。大動脈っていう下半身に向かってる大きな血管が途中細くなってるんだって。あと弁が普通3枚で形成されてるのに、うちの子は2枚しかなくてあとその付近も血管が狭くなってるって。一度ちゃんと検査しないとはっきりしないみたいだけど、一応手術すれば治るって」私の頭の中は<私が糖尿なばっかりに上手に生んであげられなかったー>ばかり回ってた。涙が止まらなかったけど、とにかく一度子供をちゃんと見たくて、特別に許可もらい車椅子で未熟児センターへ。

なちグロンはまだ胎児の時にだけあると言う動脈管(胎児の時は肺呼吸しない為肺動脈から大動脈へ血液を送ってる血管。生まれると肺呼吸が始まる為生後1日位でなくなる。)がまだ残ってて、これがあれば肺にいく血液が下半身に回ってくれるということでそれがなくならないように点滴だらけ。でも思ってたより顔色もいいし、普通だった。

翌日泣いててもしょうがないと元気に振る舞ってた。周りから立ち直りが早いね、と言われたけど心の中はまだ乱れまくってた。そりゃすぐ立ち直れるわけないっしょー。さすがに産科の授乳室に集まって授乳の練習する時は、みんな赤ちゃん抱いてニッコニコ。私は子供がいないからひたすら乳マッサージしてた時はつらかったー。よその子の泣き声聞くと涙はでるし、授乳室にいく時間になると吐き気がしたし、乳の出はすこぶるよかったけど、子供の心臓に負担をかけないために母乳をせいぜい1日8ccを管で胃に直接入れるだけだったから悲しくなったり。今思えば8ccだけでもあげれればいい方だと思うんだけど。このころは泣き暮らしてた。なんで「うちの子が?」って。暗かったー。        




泣いて過ごしてとうとう手術

それからいろんな検査されてなちグロンの病名は「大動脈縮窄症」だって。
生後10日体重2000g弱で、大動脈の左手に向かう血管を切って、血管の狭くなっているトコロと縫い合わせ広くするのと、残していた動脈管を縛る手術をした。さんざん医者からオドシ文句(?)を聞き、危険率20%とか他の所も狭くなってたり弁のこともあるから心臓に負担がかかって、心不全を起こすかもしれないとか6個くらい書きだされた。先生「胸を開けてる時間が短ければ短いほど生存率が上がります」「先生ならどれくらいでできますか?」「普通なら30分ですが15分で終わらせて見せます!」と先生は気合十分だったので託すことにした。
私たちは無知なので、1時間もすれば手術室からでてくると思ったら8時間かかった。やっぱり様子とか観察するんだよね。
なにが辛いってじーちゃん、ばーちゃんは孫(しかも初孫)との初対面がこの時でなちグロンはこの頃には顔も土色だったからかなりショッキングだったと思う。今でも「すっごくちいさく見えて黒い顔しててもうだめかもって思った。あの顔は忘れられない」っていってる。

あとで看護婦さんから聞いた話では生後1ヶ月以内に手術してなかったら命にかかわってたらしい。当時聞いてたらきっとパニックだっただろう。ただでさえ「3箇所悪い状態での手術はこの病院では初めてだから心配」と医者に言われてショックだったから。とにかく手術は途中タンがからんで呼吸困難になり胸開けたままうつぶせにしたりして大変だったけど無事終了。あとは哺乳瓶で飲む練習しながら傷がくっつけば退院ということになった。





       







   










   






大動脈縮窄症とは・・・(なちグロンの場合)

超簡単に説明しちゃうけど心臓から全身に血液を供給している血管の一部が狭くなっている病気。なちグロンの場合は下半身への血流が極端に少なかった。ただ救いだったのは、さっきも書いたけど「動脈管」が残ってたという事。(胎児の時は肺呼吸しない為肺動脈から大動脈へ血液を送ってる血管。生まれると肺呼吸が始まる為生後1日位でなくなる。)動脈管があったから、肺にいく血液が(胎児の時のように)大動脈に回ってくれて、そのおかげで下半身にも血液が流れてくれてた。これがなかったらチアノーゼもひどかっただろうし、手術も緊急だったのかも。
手術では大動脈の左手に向かう血管を切って、血管の狭くなっているトコロと縫い合わせ広くしたので、左へ向かう血管がなくなった。でも他の血管がフォローにまわってくれるから大丈夫。ただどうしても左手は少し冷たかったり、血圧の差はでてしまうみたいだけど。
なちグロンの場合は、大動脈縮窄症以外の箇所にも少し血管が細くなってるのと弁が2枚しかない「二尖弁」というやつで手術は普通の縮窄症より心臓にかなりの負担がかかるものだったらしい。執刀医は心不全を一番心配してた。負担がかかりすぎると心臓がバテてしまうのだ。
手術中は縫ったり切ったりするため周りの血管を縛る&それ以外の部分も狭いし二尖弁⇒「血液をしっかりながさなければ」と心臓が気合をいれる⇒心臓が疲れる⇒バテて動かなくなる



             































痙攣

後1ヶ月順調に進んでたある日、授乳の時になちグロン呼吸が突然止まった。白目むいて全身真っ青。急いで背中を叩いたら意識が戻った。てっきり母乳を喉に詰めたと思った。でも私が面会してた1時間半の間に5,6回同じ事が起きた。これは喉に詰めたとかいうのじゃない!看護婦さんもあわてて背中を叩く。一度自然に意識が戻るか観察すると言い、先生と真っ青ななちグロンを何もせず見た。見ていられなかった。途中で先生が急になちグロンの背中を叩いた。意識が戻った。その日は私が帰ってからも何度となく意識をなくした。さすがに夜中に不安になってセンターに電話した。夜中には治まってたらしい。もう生きた心地がしなかった。

結果・・・原因不明の痙攣だった。痙攣ってピクピク引きつるのかと思ってたら、違うパターンもあるんだぁ。なかにはカクンって力が抜けるだけのもあって親も気付かない場合もあるとか。 
次の日からはピクピク引きつっていた。毎日薬を増やしたり、調節していくうちにピクピクもなくなっていった。それから毎日飲むようになった薬が「バレリン」。今現在普通だったら体重が増える事で薬が足りなくなり、また痙攣や脳波に異常がみられるはずなんだけど、幸いなちグロンはそういうこともなく 2歳くらいには薬をやめれそう。

                                                                   
リハビリ開始

1歳6ヶ月ごろMRIをやった。未熟児センターにいた頃、一度やった時「脳に1ヶ所キズがある」って言われ方をしたけど問題ないといわれてた。今回は、先生「脳に2箇所血液の流れてないところがあって1ヶ所は問題ないけどもう1ヶ所はちょっと気にかかるなー」私「・・・!!!?」まず右手足に緊張がでるという。そういえばこの子は左手しか使わない。たまに右手で指差ししようとするけどうまくできない。左手だと上手なのに。
リハビリを勧められたのでどうせ歩くのも遅れてるから、といく事に。機能訓練(歩く訓練)・作業訓練(右手)に通っているけど、伝い歩きが早くなるほど右足がついてこなくて、思いっきり引きずってるのが分かる。知らない人から「カニさんだねー」なんて言われる事もしばしば。右手は多少使えるようになってきたけど
指先で物をつかめない。1歳未満の子のようにわしづかみみたいなやり方。いわゆる「ぶきっちょ」さんである。そのうちなんとかなるさー(^▽^)

おつかれさま 文字ばっかで疲れたでしょ